メントレ

【書評】小さな「イチ」を足して行く。ホリエモンの「ゼロ」読みました。

Pocket

 

ゼロ―――なにもない自分に小さなイチを足していく

久しぶりに本を読みました。今回選んだのは、ホリエモンこと堀江貴文氏の「ゼロ」です。

Youtubeのチャンネルで、メールマガジンの読者からの質問に答えている堀江氏を見ることが最近増えました。

「仕事」に関する悩みや相談が多く、「バッサリ」とオブラートに包まずに答えて行く堀江氏が痛快ですよね。

有罪判決で世間を騒がせてから10年以上経過し、積み上げて来たほとんどすべてのものを一度失ってしまった堀江氏ですが、ゼロベースから復活して来たようです。

時代の寵児から転落しても、もう一度、登る事を諦めないその精神力に敬服します。

でも、堀江氏も人間ですから色々と辛いことがあったようですよ。

さて、私がこの「ゼロ」に期待した内容は、「人生を変えるには?」「昨日までの退屈な生活から脱出するには?」というような閉塞感に対する答えです。

安易な期待である事は重々承知なのですが、サラリーマン生活の閉塞感がどうにもならなくなって来たため、「ゼロ」を手に取る事にしたのです。

先に結論を言ってしまうと、この本にはその「答え」が書いてあります。

しかし、その答えは皆がすでに知っている事だと思います。

ただ、「知っている事」と「実践」の間には大きな隔たりがあり、その方法を「実践」できる人はごく僅かでしょう。そんな我々の背中を少しだけ後押ししてくれます。

印象に残った部分を以下にまとめておきます。

ここでする話は、あくまで「私」がサラリーマンを抜け出したいという話ですので、世のサラリーマンをディスる意図は一切ない事をお含みおき下さい。

仕事や人生に怖じ気づく理由

経験とは、経過した時間ではなく、自らが足を踏み出した歩数によってカウントされていく

「自らが足を踏み出した歩数」を自問自答してみると、自己嫌悪に苛まれます。

なぜなら、サラリーマンになってからというものの、「サラリーマンになる」という決断をした時以外は、「自らが足を踏み出して」いないからです。

要するに、時間だけが経過して、経験は全然蓄積されていない、ということになります。

「ゼロ」では、女性と話すことが苦手だった堀江氏のエピソードが語られています。

異性との関係で考えてみると分かりやすいかもしれないですね。

「共学」の学校に通っているにもかかわらず、異性と一度も話す事がなければ、ずっと苦手意識を抱えたまま大人になるに違いありません。

「いつか」解決したりはしないんですね。

「このまま」では「このまま」だ、という事に気づく

「いつか」異性と話せるようになるはずだ、と思い込み全く挑戦をしてこなければただ歳を取ってしまうだけのように、「いつか」自由になれるはずだ、と思い込み、毎日仕事に行っているだけでは、閉塞感から抜け出す事はできません。

「このまま」では「このまま」だという事を、今まで見て見ぬ振りをして来ました。

「ゼロ」には「このまま」から抜け出すためのヒントが書いてありました。

それは「ノリの良さ」です。

友人に「ヒッチハイクで東京から九州まで行ってみよう!」と誘われたとします。

「うーん、ヒッチハイクか、、、面白そうだけど、やめとく」

と答えるか、

「面白そうだね!やってみよう!」

と答えるかだけで、その後の人生は随分と変わると言います。

ヒッチハイクに限らず、慎重になるあまり、「見逃し三振」ばかりしているような気がします。

私は一体何に恐怖を感じているのか?

堀江氏が「ゼロ」の中で指摘している内容の中で、「目からウロコ」だったのが、この話です。

私は「自由になりたい」と毎日呟きながら、会社に行っています。

なぜ自由になれないのか、なぜ怖じ気づいてしまうのか?

指摘されて初めて気がついたのですが、なんと私は「自由の重み」に耐えきれていなかったのです。

「自由と責任はセットだ」の意味が初めてよく分かりました。

サラリーマンをやっていると「責任」は負わされるものですよね。だから、できるだけ責任を自分から遠ざけようとしてしまうのです。

ちなみに、「負わされる責任」と「負う責任」が大きく違うという事にも気がつきました。

どうやらこの社会では、責任を能動的に負う時のみ、私たちは自由になれるようです。

お金から自由になる方法

「時間」をお金に変える事を辞める

「ゼロ」には、「お金」は「時間を差し出してもらうもの」ではなく、「仕事をして稼ぐもの」だ、という主張が書かれています。

私は「ゼロ」の該当箇所を読んで、もう少し別の事を考えました。

それは、「お金」の本質についてです。

「お金」は「信用」を数値化したものだ、という話を聞いた事があるでしょうか?

抽象的で分かりにくいので例を挙げると、例えば家賃が払えなくなって家が無くなった時、泊めてくれる友達がいれば、私はその家賃分の「信用」を友達から獲得している、という話です。

入口と出口だけ見れば、サラリーマンは「時間」を差し出して「お金」を貰っている訳ですが、「時間」と「お金」の間にはもう1ステップあって、「時間」を担保に「信用」を会社から借りているのです。

ここで考えたいのは、「自由」になるヒントは「時間」の使い方にある、という部分です。

「信用」を作る事に時間を使う

どうしてサラリーマンが自由になれないかというと、「信用」をレンタルしているからです。

「時間」を担保にレンタルした「信用」を使って、「お金」を稼ぐのがサラリーマンなのです。

サラリーマンを脱出したい、と強く思っている私がすべき事は「時間」を「信用」を作るために使う、という事になりますね。

ここで「ゼロ」のサブタイトルに一旦戻る事になりますが、「信用」を作るには「ゼロ」から「小さなイチを足していく」必要があるわけです。

「ゼロ」に「イチ」を足すという事

「運」という言葉に対する誤解

世の中の「成功者」の「成功」エピソードには必ずと言っていいほど、「運」の要素が出て来ます。

私が「ゼロ」を読んで感じたのは、「運」という言葉に対して誤解していた部分があるという事でした。

それは、「運」によって「ゼロ」が「イチ」になったわけではないという事です。

本書「ゼロ」には、堀江貴文氏の「ゼロ」から「イチ」になった時のエピソードが書かれていて、これがかなり核心をついているのではないかと思います。

「運」の要素が働くのはもう少し後で、「ゼロ」に「イチ」を5回くらい足した後の話なのです。

結婚されている方は、パートナーと出会った時の事を考えてみればよく分かります。

今のパートナーと結婚する事になったのは、「運」以外の何物でもないですが、最初の一歩を踏み出したのは自分だったのではないでしょうか?

「白馬の王子」がいないようにある日、突然景色が変わる事はない

「運」で成功した、というとどうしても「白馬の王子」が突然迎えに来て、何が何だか分からないうちにお金持ちになっていた、みたいなエピソードを想像してしまいがちです。

しかし、現実にはそんな事が起きる事はなく、最初の数歩は自分でビクビク怯えながら踏み出すしかないのですね。

「ゼロ」は、堀江貴文氏が最初の一歩を踏み出した時のエピソードが赤裸々に語られていて、すごくリアリティを持って読める名著だと思います。