ADHD

【ADHD 広汎性発達障害(PDD)】小さい頃から他人とコミュニケーションを取る事が苦手で、不注意の多い私が何とかできる仕事を見つけた話

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はじめに

通院した事がないので、正確な診断結果分からない

この記事は、「引きこもり」を経験してから社会復帰した私が、今から当時を思うと「発達障害っぽかったな」と思う事を書いていきます。

今のところ、「発達障害」関係で通院したことはないので、正確には分かりませんが、そういった傾向があった事は紛れも無い事実です。

当時は、「発達障害」がそれほど認知されていなかったため、「周りが当たり前のように出来る事」を自分だけ出来ないという劣等感で「引きこもり」にまでなりました。

しかし、現在は曲がりなりにも「社会人」としてうまく紛れ込む事に成功しました。

どうやら人口の数パーセントは、わたしと同じ傾向があるようで、辛い思いをしている方もいらっしゃると思います。

そうした方や本人の周囲の方に向けて、少しでもQOL(クオリティオブライフ)を高めるための参考になればという思いで本記事を書きます。

定型発達者との間に、明確な線引きはない

通院すれば、「発達障害」かそうでないかの診断はされますが、定型発達者と明確に見分ける事が難しいのも、発達障害の特徴です。

一見して分かるようなものではありませんし、定型発達者とあまり変わらない振る舞いをしている場合もあります。

「発達障害」の傾向があり、その傾向が強いか弱いか、というスペクトラムが存在するという事です。

「障害」というとややネガティブなイメージが強いですが、日常生活で「当たり前の事が出来ない」という問題があり、やはり「障害」と表現するのが適当かと思います。

私の取った行動はいたってシンプル

次の章から、私の過去の失敗談などをつらつらと書いていきます。

おそらく、私と似たような「症状」を経験してきた方は多いのではないかと思います。

しかし、そんな私ですが、「バリバリ仕事をしてみんなから尊敬されたい」とか「かっこよく会話して、異性にモテたい」とか「お金をたくさん稼いで、人生を楽しみたい」という欲求があります。

皆さんも、程度の違いはあれど、同じように考えている事でしょう。

いままでの人生、失敗続きでしたが、まだ諦めたわけではありません。

私がこれから自分のやりたい事をやるために、必要だと思うこと、また実践している事は次の2つです。

・「環境」を変える事は、人生を変える事に繋がる。止まってないで、転がるまで押し続ける。

(エアコンと同じで、エネルギーを使うのは最初だけで、あとはスムーズに流れます)

・「環境」の変化に耐えうる「守備力」を身につける。守備力は、防御力よりも回避力。すなわち、テクニック。

2つ目については、書籍でテクニックを体系的に学ぶことができます。この記事の最後に、私が参考にした書籍を挙げておくので、確認してください。

1つ目は少し抽象的なので、具体例を挙げます。

環境を変えるというアプローチで最も簡単なのは、「お金を払って」誰かに何かを習うことです。

「お金を払って」というところがポイントで、金銭的な利害関係がある方が初心者に優しいです。

「金銭的な利害関係」を嫌う人も多くいるのは知っていますが、私はむしろ逆で「金銭的な利害関係」があるからこそ安心して「失敗できる」と思います。

フラットな関係だと、「ミス」が取り返せない場合が多いので、余計に傷ついて萎縮してしまうことになりかねません。

私が引きこもりから脱出した時は、勇気を持って「ダンス」の習い事に行きました。(笑)

ただ、そこまでする必要はなく、最近では「就労支援」などのサービスもありますから、そちらを利用して「プログラミング」の知識を学びつつ、コミュニケーションに慣れていくのが望ましいでしょう。

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幼年期〜成人期頃に見られた発達障害(またはADHD)っぽい傾向

何故相手が怒っているか理解できない

小学校時代の話で、よく覚えているのが、先生に叱られている最中に別のことに意識が行ってしまい、それを見抜かれて「鬼の首を取った」ように叱られてしまった経験です。

先生からすれば、「ナメられている」ように感じたに違いありません。

しかし、私からすれば「ナメる」どころか、先生の存在自体を「忘れて」しまっていたのです。

今から考えれば、あの頃から発達障害っぽいところがあったんだと思います。

一つの事に異常に集中してしまう状態を「過集中」といいますが、まさしく興味のある対象のみに過集中した結果、目の前にいる人間の存在を忘れてしまったのです。

その時、先生は私の行動をあり得ないと罵りまくりましたが、本当に悪気はなく、ごく自然に、忘れてしまったのでした。

こうした態度を自然に取ってしまうせいか、友人等も徐々に減っていきました。

悪気はないんだけれど、普通にしていると嫌われるという事は結構辛かったです。

あまり実感はないのですが、きっと相手の気に障る事をストレートに言ってしまっていたに違いありません。

実感がないというと、「なんて奴だ!」と批判されそうですが、実感がないからこそ、相手が「突然怒り出した」ように見え、次第に人と関わるのが怖くなって行きました。

重要なイベントを忘れてしまう

これも小学生の頃の話です。

文化祭の日の事でした。

最初の1時間は集団で行動して全学年の「出し物」を見て回りましょう、という説明があったようなのですが、パンフレットの「べっこう飴」制作体験に夢中だった私は、ガイダンスが終わるや否や、べっこう飴制作に直行してしまったのです。

べっこう飴を作っている途中に先生に見つかって大目玉を食らいました。

最初は何故怒られているのか分からず、話を聞いてみるとガイダンスで説明があったようなのですね。

クラスメイトの前で一人立たされ、みんなに謝る事になってしまいました。

また、ゲームに夢中で友達との約束をすっぽかしてしまう事もありました。

これでは嫌われて当然です。

しかし、本当に悪気はなく、ただ忘れてしまったのです。

物を無くす事が多い

物を無くす頻度は非常に高かったです。

電車に傘や財布を忘れてしまう事もよくありました。

その度に、母親に罵倒されていました。

この頃から、なんか自分はみんなが当たり前に出来る事ができないなー、と思うようになりました。

夏休みの終盤に「宿題そのもの」がない!なんてこともよくありましたよ(笑)

我ながら呆れますね。

今となっては笑い話ですが、当時は周りの人にその「異常性」を嘲笑されまくっていたため、徐々に劣等感は募っていきました。

複数人の会話に入る事ができない

複数人の会話に入る事が出来ない事もよくある事でした。

「タイミング」がよく掴めないのです。

大縄跳びに入るタイミングが分からないように、会話の流れにうまく乗る事が出来ませんでした。

ちなみに、縄跳びは得意でしたよ(笑)

脳の使っている部位が違うようです。

このように表現すると、「タイミングなんて関係ない。声をかけるかかけないかだ!」と怒る人が現れそうですが、(笑)その言葉を鵜呑みにして輪に飛び込んでみてもうまくいかず、心が傷つくだけでした。(笑)

大人になってから見られる発達障害(またはADHD)っぽい傾向

こだわりの強さ

大人になってから、表面上はそこそこ普通に振る舞えるようになったかなと思うのですが、それでも発達障害っぽい傾向はまだ色濃く残っています。

例えば、仕事の進め方が上司に間違っていると指摘されても、なかなか飲み込むことができないんですね。

表面上は「はい、わかりました」と当然のように返事をするのですが、出来上がったものを見ると元々自分がやりかかった「やり方」に固執したものが出来上がっています。

理性では、分かっているのですが最初に思い描いていた方針が頭の中にこびりついて離れないような、そんな感覚があります。

気持ちの切り替えや考えの切り替えが下手なんだと思われますね。

定型発達の人は、どうも「サッと」切り替えているように「見える」のですが、どうなのでしょうか?

空気が読めない

知人などによく指摘される事項です。

空気が読めないんです。ええ。

私にとってはこの世は「真空」のように感じているのですが、どうも空気があるらしいですねえ(笑)

大人になって、頭がそこそこ回るようになってからは、この会話にはこういう空気があるはずだ、と論理的に空気を再構築する作業をするようになりました。

そのおかげで、サラリーマンの恒例行事である「飲み会」もなんとかクリアできています。

しかし、その場の空気を読み取るのではなく、論理的に常に最適解を計算しなければならないため、アウトプットが遅く、会話の流れについていけない場合がありますね。(笑)

結局、何も話さなくなってしまうという状態に陥りがちです。

おまけに、脳のリソースをすごく使うようで、「疲労」が異常に溜まってしまいます。

相手が何を言っているか頭に入ってこない

仕事中に「説明」を受けることってよくあると思うのですが、あの説明が頭に入ってこないという事象がおきます。

意図的に入ってこないようにしているわけではなくて、ちょうど視覚の「焦点」が合わないような感覚です。

あれ?あれれ?なんで焦点が合わないんだ!という焦りがさらに空回りしてしまい、気がついたら相手のことを何も聞いていなかったなんてこともあり得ますね(笑)

また、1つのことが気になってしまうとそこで止まってしまい、そのあとの話が何も頭に入らないということがあります。

疑問点は一旦、除けておいて、後で確認するという器用なことができないようです。

そんな状態でどうやって仕事をしているんだ、と疑問に思われる方も多いかと思いますが、「適した仕事」につくことで周囲の被害も自分のプレッシャーも最小限に抑えることが可能になります。

人の目を見る事が苦手

人の目を見ることが苦手です。

家族や友人、親しい関係の人とは何の問題もないのですが、会社の人やお店の店員さんなど、ちょっと距離感があると途端に視線を合わせるのが難しくなります。

中でも最も苦手なのが「美容師」さんです。(笑)

全世界の美容師さん、すみません。私が全て悪いんです(笑)

いや、しかし、鏡越しにこちらの視線が確認されるとか、恐怖以外の何物でもありません。

仕事についてですが、これも「人の目を見て話さなくてもいい仕事」に就きましょう。

発達障害(またはADHD)に遺伝の要素はあるか、自分をサンプルに考察

親や親戚で発達障害っぽい人がいたか?

「発達障害」の遺伝の要素はよく議論になるところです。私のケースを確認していきましょう。

私の独断と偏見ですが、母方の家族に「発達障害」っぽい傾向が見られたように思います。

根拠として、

・社交性がない。

・こだわりの強さ。

・世間とのズレ

・癇癪

が挙げられます。

子供の頃は、定型発達者との差異が少ないですから、その頃の私にとって、母方の家族は一定程度社会とズレているように認識されました。

最も関わりの多かった母親の事例を紹介します。

社交性に乏しいと言っても、小学生の頃はスポーツクラブに所属していたりすると、親同士の交流は避けられません。

その中で、明らかに相手が「ムッとしている」のに、それに気が付かず、母親は自分の話を続けてしまっていました。

後で問いただしてみたところ、やはり「相手を怒らせていた」という認識がなかったようですし、自分の非を認めることもありませんでした。

でも、明らかに「ムッ」としていたのを子供だった私は敏感に感じ取ってしまい、それ以来その家族とはどこか心の距離を保つようになってしまいました。

遺伝子による遺伝か、環境的な要因によるものか?

「発達障害」が遺伝によるものか、環境によるものかという議論があります。

結論から申し上げれば、私は遺伝というファクターが強いのかなと認識しています。

世間では、遺伝的な要素が強いと聞いて安心する親御さんも多いようですが、果たしてそうでしょうか?

安心する人が多いのは、「環境」と言われてしまうと、自分に責任があるように感じてしまうため、仕方がない(と思える)「遺伝」要因のせいにしておきたい、という心境からだと思います。

しかし、子供側から見れば「遺伝」という自分にとってはどうしようも無い要素で、人生が大きく変わってしまうのはあまり納得がいかないものです。

幼少期、「母親のようになりたくない」と思っていた私は、「母親と同じような失敗」をこれまでに何度も繰り返してきました。

根本的な要因と二次的派生症状

発達障害(またはADHD)による失敗体験が重なる事による鬱

「発達障害」はその特性ゆえに結果的に社会と折り合いがつけられず、孤立を招きやすいと言えます。

私も例外ではなく、社会から孤立してきました。

そして何度も失敗し、孤立した結果「鬱」や「引きこもり」と言った二次的な症状、障害が起きてしまうのです。

私も2年ほど「引きこもり」の経験があります。

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結局、金銭的な面で「引きこもり」からは脱出しました。

「引きこもり」を脱出した話は後述したいと思います。

社会性を維持する事ができない

「発達障害」的な傾向があることで、「人付き合い」が長続きしません。

「友人」が4年以上継続して続いたことは今までの人生で一度もありません。

短期的な社交性は持ち合わせているのですが、長期的な付き合いが出来たことは今までに一度もありません。

根本的な原因は「発達障害」にあるのですが、大人になってくれば「発達障害」的な傾向はある程度改善されます。

しかし、「発達障害」的な傾向により、積み上げられた「失敗経験」によるトラウマが色濃く残っており、そのトラウマにより「人付き合い」が長く続かなくなってしまうのです。

発達障害(またはADHD)の傾向がある私が、社会復帰するにあたって考えた事

仕事は発達障害(またはADHD)に「向いている」物を選ぶ

さて、「引きこもり」から脱出して、社会復帰した私ですが、その時に考えた事をご紹介していきます。

仕事は「向いている」ものを選ばなければならない、というのを第一に考えました。

親や親戚には「社会は甘くない」とか「お前が働けるところはない」と言われましたが、それでも私は自分に合った職場を探すことにしました。

ポイントは「理系」です。

「理系」と言っても、ゴリゴリ計算する系である必要はありません。

SEやプログラマーなどは非常にオススメの職種です。

(ブラックな会社も多いのでそこは選別する必要がありますが、最近は「働き方改革」の影響で昔のような無茶をさせる会社は少なくなってきました)

プログラミングやシステムの要件定義は「ロジック」に基づいて答えがある程度、収斂するような仕事です。

こうした職業であれば、「空気」という曖昧なものを読む必要はなく、一本のある程度明確なロジックに基づいて思考することができるため、「発達障害」的な傾向を持つ人でもとっつきやすいと思います。

むしろ、「発達障害」的傾向をを持つ人は「過集中」をする傾向にあるため、定型発達者よりも優秀な可能性すらあります。

対人関係が希薄な職場選び

また、対人関係が希薄な職場を選びましょう。

ロジカルにものを考える人が多い職場では、不要なコミュニケーションが排除されていることが多いため、その点もポイントです。

直接会話をする必要がないと思えば、メールでやりとりするでしょうし、会議もスカイプですませている可能性があります。

そうした職場は探せば結構な割合であるので、「面接」の時にただ「面接」されているだけでなく、面接官がロジカルかどうかを見ておくと良いでしょう。

(大企業の場合は面接官が人事だったりするので、気をつけなければなりませんが)

「発達障害(またはADHD)」を治すのではなく、「活かす」

「発達障害」は病気というよりは「傾向」ですから、治す方向に持っていくのではなく「うまく活かす」方向に舵を取りましょう。

「過集中」は活かせる要素の1つですね。興味のあることを見つけられれば、こちらのものです。

また、「いい職場」を見つけたとしても、ある程度のストレスはあるに違いありません。なので、強靭なメンタルを養っておくことが何より重要だと思います。

強靭なメンタルは、「防御力」を鍛えるのではなく、「回避力」を鍛えた方が良いでしょう。

回避力は、「認知療法」で鍛えるのがオススメです。

また、最近では「うつ」や「発達障害」の方の就職を支援するサービスも出てきています。

うつ病や発達障害など障害がある方の就職と定着を支援する施設【ニューロワークス】

私も「引きこもり」の経験がありますからよくわかりますが、「煮詰まって」いる時って自分ではどうしようもないことが多いです。

そこから脱出するためには、今いる「環境」をガラッと変えてしまうのが手っ取り早いです。

参考にした書籍等の紹介

アンガーコントロールトレーニング

怒りをどう抑えるか、に主眼を置いた本になります。

「発達障害」的傾向の1つに「衝動性」があります。

この「衝動性」は「怒り」の感情にも適応されるため、社会性を維持するためには、身につけておきたいスキルの1つです。

本書は「社会学習理論」に基づいて作られています。

この「社会学習理論」の1つの影響力のある考えとして、「私たちは、自分の観察した状況と似たような状況になると、似たような結果になると認識する」という考えです。

この考えによると、我々の攻撃衝動や怒りは本能から生まれるわけではなく、経験から生まれるということになります。

経験によって蓄積された「評価」が頭の中に蓄積されており、その評価を変えることで攻撃衝動が湧かないように「治療」していきます。

これは、「発達障害」の「二次的症状」にも応用できる話だと思っていて、過去の失敗に基づいて蓄積された「評価」を変えることで、「二次的症状」を治療できるのではないかと思ったわけです。

嫌な気分よさようなら

「認知療法」の有名な本です。

「鬱」の治療目的で挙げられることが多いですが、「認知療法」自体は色々なことに応用できると思います。

つまり、同じ事象が起きても「ポジティブ」に考える人と「ネガティブ」に考える人がいるわけです。

この差が「認知の歪み」であり、「認知の歪み」を解消すれば「入り口」の時点で情報を取捨選別でき、「強靭なメンタル」に繋がっていくと考えます。