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貨幣経済社会から評価経済社会への移行
評価経済社会とは何を指すのか?
「貨幣の代わりに評価が流通する社会」と本書では述べられています。
例として挙げられているのが、アマゾンで商品を選ぶ時、「値段」よりも「評価」に重きを置いて、購買活動が決定されているという話でした。
これは例になっているのか正直疑問に感じましたね。
なぜなら、貨幣の「代わり」に評価は流通していないからです。
そのあと、本書では次のようにも述べています。
今後は、「評価」と「影響」を交換する社会になっていく。
うーん、って感じですね。
評価に基づいて、貨幣と商品を交換しているというのが実態で、「評価」と交換された「影響」が何を指すのかイマイチわかりません。
一言でまとめたものがイマイチなのか、例がイマイチなのか掴みづらいんですが、言いたい事はなんとなく伝わって来るし、面白そうな話ではあると思います。
題名から推測すると、「評価」を高めればお金を集める事ができる、という話のように思えるので、この場では評価経済社会を次のように再定義します。
貨幣経済社会をベースに、「評価」がインターネットを通じて共有されるようになった事で、貨幣の流通に影響を与えるようになった社会。
なんとなく、読者としては、「お金持ち」は勝ち組じゃない!新しい価値体系の社会を作って、「お金持ち」を出し抜こう!
みたいな論調を期待するところですが、あくまで価値を持っている実態は「お金」という事を認識した上で話を進めます。
貨幣経済社会から脱却なんてしていない
最後の章で「クラウドファンディング」の話をしていました。
クラウドファンディングは、個人が上場会社みたいになって資金を調達する方法ですが、株式のようなものを発行するわけではなく、どちらかと言えば寄付に近いものです。
「人気」という評価を武器にお金を集めるこの仕組みですが、「お祭り」などの地域社会では昔から利用されていた仕組みです。
そこにインターネットのパワーが加わって、色々な人からお金が集められるようになりました。
人気は使っても減りませんが、人気で獲得した貨幣価値を有効利用できなければ、結果的に人気の低下を招きます。
そういう意味では、やはり貨幣価値経済とは並行する概念なのでしょう。
その旨は、本書でも述べられています。
「価値」を集めて何をしたいの?
対談をベースに文字起こしをしているせいか、主張がぼやけているように感じますが、要するにタイトルどおり「お金集め」が第一なのではなく、集めた後のプロジェクトにまでイメージが及ぶように、これからはして行った方がよい、ということのようですね。
そのためには、まず「何がしたいか?」ということが明確に決まっていなければなりません。
しかし、大半の人は別にやりたいことなんてないんじゃないかと思うわけですね。
つまり、なんとなく不安だから「お金」をいっぱい持っておきたい、と。
もし貨幣の流通量が一定だと家庭するなら、新しい評価経済社会では、そうした人にはお金が集まりにくくなる事が予想されますね。
国家規模から個人規模へ
テレビがYouTubeに
技術の進歩は、今まで企業など大きなチームでしか出来なかった事を個人レベルで出来るようにしました。
従来はテレビを観ていた時間がYouTubeに奪われるなどの現象が実際に起きています。
社会の主役は国家からサロンへという小タイトルはやや風呂敷を広げ過ぎな気もしますね。
お金という国家のシステムを利用した社会ではなく、たとえば映像のお礼に商品を送るような小規模なシステムが生まれているという話だと思います。
あくまでも主役は国家であり、小規模経済システムが主役にまでなることはないでしょう。
なぜなら、政治、司法、軍事力、警察などは国家でしか統制がとれないからです。
根本にあるのはやっぱりお金。でも、、、?
お金が無くてもいいんだ!って結論にはならないのが残念ですが(笑)
中心はお金だけれども、ちょっとした「逃げ道」はあるかもしれないよ、と教えてくれるのが本書のいいところだと思います。
クラウドファンディングのように、評価を高めればお金を集められる、すごい時代になりました。
「評価経済」の価値を出来れば手放しで褒めたいところですが、私が感じた危うさについて書き留めておくことにします。
評価の価値はお金の価値ほど安定してはいない、という危うさを持っています。
お金、特に日本円は安定していて、一万円が明日紙くずになる可能性はほとんどありません。
国家が莫大なコストをかけて、安定化してくれているからです。
対して、評価は野放しなので、価値の変動が激しいです。
昨日は高い評価を得ていても、今日どうなるかは分かりません。
評価経済社会のパワーを利用するときは、どこまで評価に頼ってよいのか、はっきりと理解する必要がありそうです。