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【山奥ニート】動画で見た山奥ニート、葉梨はじめ氏について考える

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山奥ニートとは?

限界集落に住み着いたニートたち

映像作家の成富紀之さんの動画が分かりやすいので、リンクを貼っておきます。

ニートと言っても、完全に働いていないわけではないので、「ニート」という言葉から想像する人たちとはちょっと違う人種かもしれません。

共同生活にも、当然お金がかかるので、最低限のお金は働いて稼いでいるようです。

上の記事で紹介した、「phaさん」=「ギークハウスの考案者」と同じようなタイプで、シェアハウスを利用して、家賃等の生活費を極限まで小さくし、なるべく働かないように生活している人々、ですね。

彼らは既存の社会(大学を卒業して、サラリーマン)に適応できなかったようですが、限界集落に自分たちの居場所を見つけ、そこに住み着くようになりました。

葉梨はじめという人物

「山奥ニート」という概念を体現している中心人物です。

山奥ニート=葉梨はじめさんは、大学を中退して、山奥へやって来たようです。そこに元々、「共生舎」というNPO団体が存在していたみたいですね。

この、葉梨はじめさんという人、都会ではうまくやれなかったとおっしゃっているんですが、上の動画のインタビューでの受け答えや、テレビにも出ているところを考えると、「コミュ障」ともまた違う不思議な人物のようです。

私のような「ガチコミュ障」からすれば羨ましい限りです。(笑)

ガチのコミュ障は、そもそも共同生活すら成り立ちません(笑)

山奥ニートとの出会い

phaさん界隈からアクセスする

phaさん界隈でうろちょろしていた頃の話です。動画を見漁っていたところ、「山奥ニート」って面白い事やってんなーって人を見つけました。それが葉梨はじめさんだったわけです。

その頃は、15人も人がいなくて、確か小学校にはじめさんが一人で住んでいたと記憶しています。

いつの間にか、人がすごく増えたんですね。

みなさん、明るくて活発そうに見えます。

私みたいなガチ無職を経験した挙動不審な人種とはちょっと違うような、、、(笑)

社会に馴染めないながらも身体を引きずって会社に行く

私も「引きこもって」いたこともあり、社会不適合者だと思うのですが、今はなんとか社会復帰してサラリーマンをやっています。

しかし、やはりどうしても馴染むことはできないんですね(笑)

「会社行くのやだなー」と思いながら、「ニート 生き方」とかでGoogle検索しまくっていました。会社のトイレで(笑)

そんなことをやっていると必然的に「山奥ニート」や「phaさん」にはたどり着いてしまいますよね。(笑)

ニートというか、「ヒッピー」とか「スローライフ」っていうのに近いかも

サラリーマンでない=変な人という構図

日本人の感覚だと、サラリーマンじゃなかったら、経営者かデイトレーダーかユーチューバーかニート(引きこもり)みたいな感じになっているような気がします。

ちょっとだけ働いて、みたいなのはあまり許されないというか。

山奥ニート氏が、上の動画のドキュメンタリーで言っています。

論理的に話を構成できるレベルの人が、働けない、仕事ができないっていう(社会は)何かおかしいような気がしますね。

確かに、それは私も感じています。ここでいう「働けない」っていうのは、仕事上のスキルの話ではないと思うんですよね。

例えば、大学行くだけの学力があれば、簡単なプログラミングスキルは身につける事は、誰でもできるでしょう。(別に大卒でなくても、全然可能だと思う)

多分、「人間関係のスキル」のことを言っているんだと思います。あとは、残業とか体力の問題。

サラリーマンって独特の風習とか人間関係スキルが必要ですからね。

コミュニケーションコストが高い日本

日本はコミュニケーションのコストが高すぎる、と有名なイケダハヤト氏も言っていますが、確かにその通りだと思います。

名刺の渡し方一つ取っても、一日研修しなければならないくらいですからね。(笑)

資本主義的な「儲けが第一」という働き方と日本的な「無駄の多い」人間関係に嫌気がさした人々が一定数いて、こういう生活スタイルを選択し始めているのだろうなあ、と思うわけです。

山奥ニートに対する批判?

まだ起きていないことに対する批判

コメント欄を見ていると、批判というか、否定的な意見も当然散見されますね。

否定的な意見をまとめると、

・今は若いからいいけど、歳を取ったらどうするの?

・将来、生活保護に転落しそう

っていうのが多いですかね。

どっちも「まだ起きていない事」に対する意見なのが気になるところです。

まあ、税金がどうとかっていうそれらしい理由をつけていますが、要するに楽をしている(ように見える)奴が気に入らないって事なんだと思います。

みんなで苦しまないと気が済まない!?

みんな同じように苦しまなければいけない、なんて事はないと思うんですが、日本はまだそういう感覚が色濃く残っている社会ですよね。

私は、少なくとも、ニートや引きこもりで行き場をなくした人達が生きる上での、ロールモデルを示した事が、この人たちの功績だと思うんです。

ものすごく貧しい社会ならいざ知らず、先進国でそういう人たちを無理やり働かせたところで、果たして本当に社会の得になるのかは疑問です。

鬱になったり、自殺したりする人が出るくらいなら、ちょっと縛りを緩くしてもいいんじゃないでしょうか。

すごく肝心な事は、こういう人たちを無理やり働かせたところで、我々社畜の仕事は楽にならないって事なんですよ。

逆に、そういうロールモデルがあった方が、「最悪50代でリストラにあっても死にはしないな」と心の余裕が持てるんじゃないかと思うわけです。

※なんと、葉梨はじめさんはご結婚もされています。

協調性と社交性の違い

コミュニケーションスキルの認識がズレている

ちょっと話は逸れますが、コミュニケーションスキルっていうのには協調性と社交性の2種類があると言われています。しかし、日本では協調性のみがコミュニケーションスキルだと言われているような節があります。

逆に社交性とは、文化、信条に違いがあっても、なんとかコミュニティとしてやってくためのスキルだそうで、明らかに日本は遅れているんじゃないかって気がします。

サラリーマンをやっていて、これはすごく感じますね。同調圧力というものが、そこかしこに存在します。

他人は他人だという事を、認める

結局、他人は他人であり、他人の生き方にそんなに興味を持ったところで仕方がないんですよね。

そういう事をいうと「冷たい」とか言われがちですが、他人を独立した人間として認めた上で、「優しさ」を発揮していけばいいんじゃないかな、と思うわけです。

それこそが「社交性」というものであります。

前の章でも書きましたが、自分と価値観の合わない人間を排除しても全体としては何も楽にはならないんですよね。

むしろ多様性がなくなって、同質化する分新しいアイデアなどは生まれにくくなるんじゃないかと思うわけです。

これからの生き方について

もちろん、新しい生き方には問題が付き物です。でも、結局自然界と同じように、それぞれがいいところに収まるべく行動を取って行く事になると思います。

社会も、それに応じて変化していけばいいなあと思います。サラリーマンみたいに、一箇所に押し込んで、コミュニケーションに多大な労力を払って、働かせる事が本当にいい事なのか、私には分かりません。

もっといい方法、もっといい仕組みが必ずあるはずだよなあ、と考えています。

私はまだ考えているだけですが、そういう事を実践できる行動力のある人たちが、山奥ニートになっていたりするんでしょうね。