
サイモン・ペッグ&ロザムンド・パイクに惹かれて、手を出してみた。
サイモン・ペッグは、ミッション・イン・ポッシブルの「ベンジー」役のイメージが強い。
ロザムンド・パイクは、完全に「ゴーン・ガール」(笑)
※ネタバレ注意
しあわせを探す旅
自分探しって一時期流行りましたよね。あれをいい歳した精神科医のおっさんがやります。(笑)しかも、恋人に急に「旅に出る!」とか言って、中国に行ってしまいます。
恋人がかわいそうとかいう声が聞こえてきそうですね。まあ、そこはフィクションという事で。(笑)
***
精神科医としての生活にうんざりしているヘクター。なぜかと言えば、患者は自分を不幸だと思いたがっているような気がしたから。
自分が解決したい問題はもっと深刻な困難なのではないか、と思うヘクター。
恋人のクララ(ロザムンド・パイク)と何不自由なく暮らしているように見えたが、ヘクターは旅に出ると言い始める。
クララは悲しみながらも、ヘクターを送り出す。
***
「幸せとは何か?」というのは国や人種関係なく、普遍的な問題なんですね。
恋人がいて、家もあって、健康で、仕事もある。なのに何かが満たされないっていう感情、よく分かります。
旅の途中でヘクターは、ノートに「幸せとは?」という問いに対する考えをメモして行きます。
その中で印象に残ったものを引用します。
幸せとは、ありのままの自分で、愛される事である
by ヘクター
これは、アフリカを訪ねたヘクターが書いたものです。
アフリカには、ヘクターの友人がいて、医師として病気の子供などを治療しています。
その友人を見て、ヘクターは「自分と違って幸せそうだ」と感じたようです。
友人の仕事は、怪我や病気を治療することで、ヘクターの言葉を借りれば「必需品」です。逆に、ヘクターの精神科医という仕事は、「贅沢品」であり、裕福な先進国でのみ必要とされる虚しいものだと気がついたのです。(あくまで映画中の話ですよ(笑))
私から見れば、ヘクターはいい家に住み、独立して自分のオフィスを持って、順風満帆な人生に見えるんですが、ヘクターは鬱屈した気持ちを抱えているようですね。
ヘクターは、仕事にもちょっと虚しさを感じている節があるようです。
頭の中で考えている事が、表現されている映画を無意識に選んでいる
最近、noteで人生の「虚無」について考えていました。なので、「しあわせはどこにある?」というタイトルに引き寄せられました。
中年になると「でかい無」が見えて来るっていう話(ニートのphaさん界隈が震源地だったと思います)をしているんですが、その「でかい無」の正体がはっきりしないんですよね。
仕事が嫌、虚しい場合も多いけど、それは表向きの理由でしかないんじゃないかな、と思うわけですよ。
中年になるとでかい無が見えてくるって話|社畜@リーマン @shoetime782736|note(ノート) https://t.co/zScmtUNKIB
— 社畜@リーマン (@shoetime782736) April 28, 2018
ヘクターぐらいの中年になるとやっぱり、何か人生に「飽きる」ような事が起こりうるんでしょうか。彼は、「仕事のため」にしあわせとは何かを研究すると言い、出発します。しかし、帰ってくる時には、クララに対して「特に理由なんてなかったんだ」と述べています。
ロサンゼルスで再開した元恋人に、「いつまで幻想の中で生きているの?」と叱責されるヘクター。
確かに、彼女の言う事はもっともだと思うのだけれど。
でも、毎日仕事に行って、恋人と遊んで、と同じことを繰り返していると「いったいこれはなんだ?」という気分になって来るものだと思うんですよね。
それを探す事が「幻想の中で生きている」と言うことになるなら、私のような人間にとって現実とは「地獄」にしか見えないわけでして。
結局、しあわせはどこにあったのか。
「しあわせはどこにある?」というタイトルだから、気になるのは「どこにあったのか」ですよね。
結局、ヘクターはクララの待つ家へと帰りました。クララと過ごす事が幸せである、とはっきりと気がついたようです。
幸せの青い鳥っていう有名な話と同じ結末で、「しあわせ」は元々いた場所にあったんだよって事でしょうか。
ここで、出て来る疑問は、「旅になんて出なくても、気がつく事は出来ないのか?」ですよね。
ヘクターは、アフリカで命の危険を感じて、その状況から脱出出来た時に、生きている喜びを心の底から感じる事が出来ました。
そして、ロサンゼルスに行って元恋人に会い、恋人は現実を生きていると確認します。
そうした出来事があったからこそ、クララとの何気ない生活が「かけがえのないもの」と認識する事が出来たんですね。