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[アニメレビュー]ヱヴァンゲリヲンについて、今になって語ること。

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エヴァとの出会い

ヱヴァンゲリヲンと出会ったのは、中学生の頃でした。当時、友達に借りた「スーパーロボット対戦α」というちょっと古めのPS1ソフトをプレイしていました。

ガンダムもマジンガーも、エヴァも知らなかったのですが(というかロボットにあまり興味はなかった)、マップがマスで区切られていて、自分でユニットを動かすゲームが好きだった私は、友達に勧められるがまま、「スパロボ」をプレイし始めました。

ゲームの中の「最後のシ者」のエピソードが印象に残っていた私は、すぐに「TSUTAYA」へと向かったのでした。

 

エヴァにハマる

当時(今も)両親とうまくいっていなかった私の心に、ヱヴァンゲリヲンのエピソードはガツンと来ました。

親に興味を持たれず、憎悪を感じながらも、どこか認めて欲しいという気持ちがある子供を、代弁しているような物語だったからです。

 

ずっと疎遠だった父親から連絡があって、心のどこかに期待感を持ちながら、「第3新東京市」へ向かう碇シンジ。

迎えに来たのは、父の部下である「葛城ミサト」という人物で、よく喋る、明るいタイプの人間でした。

彼女の家に同居することになった碇シンジは、どう心の距離を保ってよいかわからないまま、落ち着かない日々を送ることになります。

居場所がうまく見つけられない主人公に共感する

学校でもうまく居場所を見つけられない、碇シンジだったが、少なくとも「エヴァ」という乗り物があり、少しずつ居場所を見つけていけるような気がしていました。

この点の、うまい希望の持たせ方がまた絶妙で、手応えを感じつつある碇シンジを、無邪気な子供が「笑う」描写までしっかり挿入されています。

また、物語は常に夏の終わりの、夕日が出ているような場面で進行して、蝉の鳴き声が常に聞こえています。

このあたりの描写が、心を落ち着かせてくれました。

noteでなぜ「物語を書くのか」でも書いたが、ヱヴァンゲリヲンという物語を通して、私の中の「何か」が救われたような気持ちになったのです。

※noteには理屈っぽい事をたくさん書いており、ブログとの役割分担をしているので、あまり込み入った話が好きではない方は見ないようにしてください。

エヴァがどうして印象に残ったのか

もちろん、ロボットアニメ的な面白さがあって、そこに惹かれたという人もいるでしょう。

私の場合は、どうも違うようです。

なんとなく、物語の後ろにある背景めいたものが、私の想像力と「シンクロ」して、世界が広がったからではないかと思います。

例えば、加持さんがスパイ活動中に、京都のどこかの建物に潜入するシーンがありますが、その時会話していた女性の素性はいっさい明かされる事はありません。

また、誰が加持さんを殺害したのかもわかりません。さらに、ジオフロントの構造もあまり厳密には明かされませんので、我々読者(あえて読者ということにします)は想像するしかないわけです。

読者が想像力を巡らせても、破綻しないだけの奥行きを持っていた事が、エヴァの一つの魅力だと私は考えます。

 

また、謎が多く、読者同士で情報交換や議論を活発に行う土壌があった事も、深みを持たせる上で一役買っていたと思うわけです。

 

エヴァを見終わった後の虚無感の正体とは

私は、ヱヴァンゲリヲンを視聴していた当時、中学生でした。ヱヴァンゲリヲンを見た後には、途方も無い虚無感を感じ、勉強も部活も手がつきませんでした。

今振り返れば、ちゃんと勉強や青春を謳歌しておけばよかったと思うのですが、私はヱヴァンゲリヲンの衝撃と共に、虚無感に包まれた毎日を送っていました。

虚無感の正体は、おそらく、碇シンジという主人公に心をダブらせながらも、私にはヱヴァンゲリヲンのような「居場所」が存在しなかったということに対するものだと思われます。

彼は、少なくとも碇ゲンドウという力を持った人間の息子であり、選ばれた人間である。

一方で、私は相田ケンスケのような、外からそれを見ているだけのキャラクターで、碇シンジとはそこで別のレールに乗っているということに気がついてしまったのです。

 

まあ、ロボットのパイロットになれないのは当然の事としても、それだけ熱中できるものが、私にはなかったのです。

 

物語の書き手になりたいと強く思った

その当時は、自分がエヴァのパイロットになれないという当たり前の事実と、自分の中の欲求のギャップにすごく苦しみました。

その時、物語の作り手になってしまえば、物語を自由に操る権限を持つ事が出来ると思いました。

 

結局、物語なんて書かずに普通の社畜になってしまったわけですが、「物語」を書きたいという欲求はどこかにはあるようです。

ただ、如何せんセンスがないのは分かっているので、その歪んだ欲求を、こうしてブログやnoteに書きなぐるのが精一杯というところでしょう。

 

大人になった今も何かを探している

ヱヴァンゲリヲンを見ていた時に感じていたものは、未だに見つかっていません。毎日の生活の隅の方に、その「気配」は感じるものの、振り向くとそこには何もないのです。

 

劇場版のラストでアスカが言った「気持ち悪い」というものから立ち上る、「何か」が未だに私が探しているもののような気がしています。

それを見つけて、どうにかこうにか、明るいところで発表したい、そんな欲求がまだあるのかもしれません。

「気持ち悪い」について

観客を驚かせた例の「気持ち悪い」ですが、ATフィールドが崩壊した後の世界で、あのセリフをいう事ができたアスカは、本当に優しいんじゃないかと今改めて思うわけです。

あれは随分、核心に迫ったところまで行っていて、あれを表現するに当たって、庵野監督は随分苦しんだんじゃないかと。

庵野監督は、「彼氏彼女の事情」でも似たようなことをやろうとしていますが、日常描写が多い少女マンガがベースであるため、大胆なところまで、キワのキワまで行けなくてもどかしい感じがあったんではないかと想像します。

(ヱヴァンゲリヲンの方が先に公開しているので、しんどいのはもういいと思ったかもしれませんが)

自重で潰れてしまうブラックホール、重力の強いところで、しっかり力を入れて押し返すのは相当しんどいでしょう。