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[漫画版攻殻]大好きな映画版と比較しながら、「攻殻機動隊」を読む!

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攻殻機動隊 (1) KCデラックス

義眼のサイボーグ、バトーや、元刑事で生身のトグサら、個性的な9課のメンバーと事件を解決するサイバーパンクもの。

漫画版「攻殻」のあらすじ

草薙素子と攻殻機動隊

元軍人の草薙素子は、内務大臣に特殊部隊の設立を直訴していたが、草薙の突入方法に問題があり、世論の支持を得られないことから却下されてしまう。

「公安の使い走り」になることを嫌厭した草薙は辞職を検討したが、荒巻の説得により、「攻殻機動隊」に参加することになる。

草薙素子と人形使い

全身義体のサイボーグ、草薙素子は、犯罪に対して攻勢の組織「公安9課」で、テロなどの、政治的犯罪を追っている。

ある時、不特定多数の電脳化した人間を操る凄腕のハッカーが現れる。その手口から、「彼」は「人形使い」と呼称される。

人形使いは、疑似記憶を使って、「人形」に役割を与える。彼らは、自分の記憶が書き換えられている事に気がつかないまま、事件に加担してしまう。

ある時、義体製造メーカー大手のメガテクボディ社の製造ラインが、勝手に女性型の義体を製造し始める。

義体は生産施設を脱走し、車にはねられたところを9課に確保される。

義体の中身である人形使いは、6課の攻勢防壁に追い詰められ、逃亡先として9課を選んだ。

人形使いは6課が外交上の横車を押すために作り上げたプログラムで、その存在が外部に漏れることは、何としても阻止したがっていた。

6課は人形使いの義体が保管されている9課のラボに出向いてきて、義体の中身を回収しようと試みたが、人形使いはそれを見越してか、自分が「生命体」であると主張し、「政治的亡命」を希望した。

それと同時に、6課の襲撃犯が9課のラボを襲撃し、人形使いを義体ごと連れ去ってしまう。

9課の奪還作成の最中に、人形使いの義体が破損してしまい、草薙は人形使いにダイブ(接続)する。

深い領域にまでダイブした草薙に、人形使いは様々なことを語りかける。

人形使いが「上部構造」と呼ぶものを、「感覚として」つかんだ草薙は、涙を流し、ダイブから目を覚ます。

漫画版「攻殻」の感想と考察

映画版「攻殻」と漫画版「攻殻」

映画版「攻殻機動隊」を見たのは随分前のことなのですが、当時は相当これに「ハマって」何度も繰り返し見たためか、細かいセリフまで鮮明に覚えています。

漫画版は今回初めて手にしました。コミカルな「草薙素子」を想像していましたが、映画版の「草薙素子」とあまり違和感なく接続できました。(まあ、コミカルな部分もありますが、、、)

GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊 (レンタル版)

重要なセリフなんかはほぼ漫画のまま使っていたんですねー。驚きです。いわゆる「押井節」だと今まで思っていたもののルーツはここに存在していたんですね。

キャラクターの設定など、細かい部分で変更は加えられているものの、ほとんど漫画のまま映像になったというのが私の感想です。

なので、映画版のイメージを崩したくないから、漫画を手にとってこなかった人には、「そんな心配はないよ」と自信を持っていう事ができます。

アニメ版「攻殻」

ちなみに、攻殻機動隊はアニメシリーズ化もされています。

攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG Individual Eleven (レンタル版)

こちらの「草薙素子」は饒舌で、より漫画版のキャラクターに近いように思います。しかし、個人的な感想としては、アニメ版はちょっと喋り過ぎかなーと感じますね。もう少し、感情を乗せない方が、私の中の「草薙素子」のイメージに近いような気がします。

話が逸れたので、元に戻します。

映画版と比較しつつ考察

漫画版の草薙素子は、どちらかというと映画版のイメージに近いですが、映画版よりは良く喋り、アニメ版よりは「淡々としている」という位置付けでしょうか。

あまりこの作品について知らない人は、「主人公の造形に何をそんなにこだわっているんだ」と思うかもしれませんが、好きな人はわかると思います。

物語もそうなんですが、「草薙素子」という人物の造形が、このお話では重要な位置を占めているんですね。

草薙素子の人形使いに対するスタンスが、漫画版ではあまり明確にわからなかったのが、ちょっと残念な気もします。

映画版では、とても明確に、人形使いに拘る理由が描写されていますからね。

純粋な人間だった頃の草薙のパーツは、今や脳しか残っておらず、それ以外は完全に後付けで作られたもの。政府の備品呼ばわりされていますし、また死んだら政府に回収されて分解、実験、再利用に使われてしまいます。

自分がもともとどんな人間だったのか、よく分からなくなってしまっているところは、映画版も漫画版も共通しています。

漫画版

漫画版では、スリルや金、高度なメンテナンスと引き換えに、自発的に義体化を進めてきた描写がされていますので、どこか諦めに近いような感情が見受けられます。

「まあ、自分で望んでやってきた事だし、最後は自分という要素が纏りきらなくなって、分解して霧散してしまってもいいか」と言った感じですかね。

死んだら誰もがそうなるわけだし、その気持ちはイメージできますね。

だから、あんまり悲しみの要素はありませんし、悩んでいる様子もありません。

だから、人形使いに見せられた「上部構造」に、

なぜ「感動」したのか、

なぜ人形使いに拘るようになってしまったのか、

なぜ人形使いと融合しようとしたのかを、

はっきりと明確に読み取ることはできません。

映画版

一方、映画版では、草薙素子が義体化したことに対する、後悔や迷い、悲しみが描写されています。

義体化した自分が、もともと過去から存在していたという「連続性」に対する実感が持てないでいる、そんな感じです。

疑似記憶を植え付けられた清掃員を見ている草薙は、自分似たようなものと感じているのかもしれません。

さらには、もともと人間ですらなかった人形使いというプログラムに「魂(ゴースト)」のようなものが宿っているという事件。

草薙素子は、自分の中にある迷いを解決する「解答」のようなものを探すべく、人形使いに接触していくことになります。

人形使いと融合することで、現状から脱する事ができるんじゃないか、そんな期待を抱いているわけですね。

(フローターで海の底から浮き上がってくる描写などにもそう言った感情が表現されているように思えます)

比較した結果の感想ですが、映画版の方が、草薙素子が

どうしてそういう行動をとることにしたのか

という部分が、分かりやすい作りになっていると思います。

動機がより明確なんですね。

ただ、私が思うに、漫画版の解釈と映画版のそれは、大筋ではズレていないものと思います。

なので、どちらがいいとか、そう言った優劣の話ではなく、映画版と漫画版どちらに最初に出会ったにせよ、別の角度から見たものと考えれば、しっくり来ました。

攻殻機動隊の好きなところを語る

原作者と監督

原作は「士郎正宗」という人です。

商業誌での連載終了以降では漫画作品をほとんど発表せず、イラストレーターとしての活動が目に付く。傾向としてはMacintoshによるデジタルペイントや3DCGを構成要素に用い、女性キャラクターやメカニックを描くことが多い。

wikipedia

 

謎が多い人物のようですね。

一方、映画版の監督は「押井守」という人で、この人は好きなのでよく知っています。(笑)

どちらも「攻殻機動隊」で有名なのですが、二人の共通点としては、間の取り方がうまいというか、「漫画」「アニメーション」に映画的手法を取り入れているような部分がありますね。

印象的なシーンをピックアップ

奴にダイブしてた時ね。私が意識を失う前に・・

漫画版(電子版284P)

背景は雨。セーフハウスで、バトーと素子は事件について語ります。

その時の、素子の表情や、そのあとのセリフが何もなくて終わっていく感じ。余韻を残す感じが、私はたまらなく好きなんですよね。

海面へ浮かび上がる時、今までとは違う自分になれるんじゃないかって、そんな気がする時があるの。

映画版 素子の非番シーン

場面は夜で、海の上、背景は高層ビルの光。カモメや波の音が聞こえる中で、バトーと素子は会話をしています。

環境音と会話の音量や声色のバランスが絶妙で、こだわって作られているのを感じ取る事ができます。

さらにさらに、カットが大胆という共通点もあります。

さてどこへ行こうかしら、ネットは広大だわ。

このシーンは、漫画版にも映画版にもあるシーンで、人形使いと融合したあとの草薙素子が、この台詞を言って、画面がフェードアウトします。(漫画版もそこで終わり)

この放り出し方、たまらんですね!(笑)

普通、融合したあとの話をあれこれ描くもんだと思うんですよ。

しかし、そういうことはせず、ニューポートシティーのビル群が素子の行く先を暗示するだけで、余韻たっぷりに放り出されます。

あとは、君たちの想像に任せる。と。

こういうのもっと摂取したいですねえ。たまらんです。(笑)

これって完全に、小説とか映画の技法だと思うんですよね。

こういうところが、カルト的人気となった所以だと思います。

ところで、

この台詞って、絶対押井守が考えたものだと思っていたのですが、原作にも同じシーンがありました。「士郎正宗」さんが考えられたものだったとは、、、。

随分長いあいだ勘違いをしておりました。すみません。

あと、セリフがないので文章化しにくいんですが、映画版の9課襲撃後の追跡シーン。あれもセリフなしで、あそこまで魅せるのはすごいですね。

6課の中村部長とドクター・ウィリスが高速に乗っているシーン。トンネルの明かりが、規則的に通過する中、ウィリスが呟きます。

(中村部長)よりにもよってなぜ9課なんかに逃げ込んだんだ。

(ドクター・ウィリス)彼の考える事だ。我々には想像もつかないんだろう。もしかしたら、片思いの相手でもいたのかもしれん。

草薙はヘリで人形使いが乗っていると思われる車を追跡します。

横浜にあるランドマークタワーそっくりのビルの周りを、ヘリが旋回するシーンが挿入されます。

ランドマークタワーは、電子の海のイメージのように、緑色に光っています。

ちょっと黄昏た感じの音楽がかかっているんですが、うまく景色とマッチしていて、引き込まれっぱなしですよ。

ちなみに、トグサ君は漫画版だと、ちょっとごつくてガサツな感じに描かれています。唯一、映画版とキャラクターが異なりますね。

漫画版だと、どちらかといえば、バトーやイシカワに近い荒くれ者といった雰囲気ですが、映画版ではバトーやイシカワ、少佐とは反対のパーツをなしています。

これについては、少佐の口から説明されていますね。

組織も人も、特殊化の果てにあるのは緩やかな死。それだけよ。

「攻殻」の続編など

映画版「攻殻機動隊」には「イノセンス」という続編があります。

こちらは、漫画版1巻のアンドロイド?の暴走を題材にした物語となっています。択捉島以降はオリジナルストーリーですかね。

適役のハッカー「キム」についても語りたい事があるし、語りつくせません。

また、漫画版も1.5と2が発売されています。

1.5は1のアフターストーリーで、バトー、トグサ、サイトー、アズマ、イシカワ(イシカワあんまり印象がないけど多分いた 笑)が活躍します。

2は、随分毛色が違う物語になっているので、続編として見ない方がいいと思います。アニメ版の2ndGIGとかで見られたような、オンライン通話中の顔画面?が出て来たり、ヴァーチャル空間の描写が多いですね。

「士郎正宗」さんはイラストの方にどちらかと言えば関心があるようで、ヴァーチャル描写が好きな人には合うかもしれません。

私は、今の所あまりついていけなかったので、もう一度読み返します。(笑)

馴染みのキャラクターは出てこないので、完全な別物語と捉えてもいいかもしれませんね。