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あらすじ
ジャーナリスト志望のアンドレア・サックス(アン・ハサウェイ)は、ノースウェスタン大学を卒業し、就職先を探していた。ファッション業界に興味は無かったものの、有名な編集長の元で働けば箔が付くと思ったアンドレアは、有名なファッション雑誌「ランウェイ」のアシスタント職に応募する。
運良く、採用されたアンドレアだったが、編集長のミランダ・プリーストリー(メリル・ストリープ)は、要求が異常に厳しかった。最初はあまり乗り気ではなかったアンドレアだったが、彼氏のネイトの支えと、家賃の為の仕事と割り切る事でなんとか乗り切っていた。
ある時、ミランダは悪天候で欠便になった飛行機を何とか飛ばすように要求して来た。無茶な要求だと分かりつつも、アンドレアは飛行機の予約を確認する。あらゆる対応を考えたものの、万策尽きて、結局、ミランダの要求に応える事は出来なかった。
ミランダはアンドレアに失望し、辛く当たる。
アンドレアは努力が認められていないと腹を立てたが、そもそもファッションに興味が無かった自分を省みて、変わる事を決意する。
同僚のナイジェルの助けで、その日からアンドレアは見違えるようにオシャレになり、仕事も卒なくこなして行った。
仕事の評価はどんどん良くなっていったが、彼氏のネイトや友人たちはアンドレアの急な変わりぶりについて行けないようだった。
アンドレアはネイトと上手く行かなくなっていく不安を感じながらも、仕事を上手くこなせている自分に満足していたし、人脈も広がって、ジャーナリストの夢も掴めるのではないかと期待していた。
アンドレアの努力が報われ、ミランダに気に入られ始めたのは良かったが、同時に意図せず、同僚のエミリーを蹴落とす決断を迫られる。
また、プライベートも破綻し始め、本来自分がなりたかった姿とのギャップを感じ始める。
そんな中、編集長の座を守るために、長年の同僚であるナイジェルの期待を裏切る仕打ちをしたり、2度の離婚をしてもなお、自分を肯定し、仕事に打ち込むミランダを目の当たりにしたアンドレアは、ミランダに振り回されるのを止め、自分の道を歩み始めるのだった。
「プラダを着た悪魔」の感想
主人公を見下す役割の「エミリー」と物語にピリッとスパイスを与える「ナイジェル」
「プラダを着た悪魔」
極端に言えば、仕事は出来るけどわがままなオバさんに、大学を卒業したての若者が振り回される、それだけの話だ。
それでも、飽きずにずっと観ていられるのは、アン・ハサウェイの可愛さとメリル・ストリープの辛辣な演技、お洒落なファッションとインテリアが惜しみなく披露されるからだろう。
それに、この映画は「脇役」の存在が非常に大きい映画と言える。みんなキャラが立っていて、「ただのおしゃれな映画」としてまとまらずに済んでいる。
ミランダの第1アシスタント(途中から第2アシスタントに降格)のエミリー(エミリー・ブランド)も中々いい役を演じている。
アン・ハサウェイとは対照的な顔だちで、作品中でのキャラクターも真逆である。
エミリーは、最初の頃こそアンドレアをバカにしていたが(ただバカにしつつも中々面倒見はよく、根本的にいいやつ)、アンドレアが成長するにつれ、打ち解けていく。
エミリーと対比する事で、アンドレアの純朴さや成長度合いが伝わりやすい。
この人、本名も「エミリー」という。
「ガールオンザトレイン」のアルコール依存症役やハードな警官の役にチャレンジしている「本格派」女優である。
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エミリー・ブラントの出演作品↓


ここで忘れてはいけないのは「ナイジェル」の存在だ。
ナイジェルは劇中で数々の名言を残す。
・君は努力なんてしていない。泣き言を言っているだけだ。
・目を覚ませ「サイズ6」。ミランダは自分の仕事をしているだけだ。
・これはただの雑誌じゃない。輝かしい希望の光だ。
・プライベートが崩壊したら教えてくれ。昇進の時期だ。
ナイジェルの言葉は厳しいようだけれど、少し温かみもある。そこがミランダと違うところで、ミランダに言われると腹が立って反抗したくなることでも、ナイジェルの口から出ると、諭されてしまうのはなぜだろうか。
仕事がうまく回り始めると同時に、プライベートが崩れ始める。
勉強と部活の両立。仕事と家庭の両立。
こう言った話は随所で聞くことができるが、激しい競争が行われている場所では、なかなか両立は難しいようである。
おまけに昇進の要件は、ミランダに「認められるか否か」であるから、プライベートは捨てなければ、誰かに追い抜かされてしまうだろう。
テストで100点取るのとはわけが違う。
当然、恋人のネイトとはうまくいかなくなってしまうわけだが、一旦うまく回り出した仕事を放棄する気にもなれない。
なぜかこういう時は恋人に甘えて、「我慢してもらう」選択をしがちだけれど、多分それは間違っていて、どちらかを選ぶことしかできないのかもしれない。
この映画は、日本でも有名で「誰でも知っている映画」の1つだと思うが、上記のような問題が日本人の我々にも馴染みのあるものだったから、ここまで有名になったに違いない。
ここまではすごく日本的な感覚
でもさすがにそれでは終わらなくて、アンドレアは最終的には自分に馴染みのある「地味な」世界に戻ることを決断するのだった。
携帯電話を水の中に投げ捨ててw
ミランダは途中でそのことに気がつくが、あまり未練は残さなかった。「まあそういうこともあるでしょうね」といった感じで。
この辺はあまり日本人はやらない事だ。追い詰められて自殺してしまうかもしれない。
ただ、「脇役」のナイジェルやエミリーは今まで通り「ランウェイ」の編集部で夢のために、プライベートを犠牲にして働くわけで、我々日本人サラリーマンとしては脇役に共感してしまうのだ。
この映画を観た後に、「アンドレア」の方に共感したか、「ナイジェル」や「エミリー」の方に共感したかで感じ方が変わってくると思われる。