
「燃え尽きるまで」というサブタイトルはちょっと余計な気がします、、、(笑)
とか
とか
と同じようなパッケージ写真だけれど、中身は全然違って暗い話です。
そういう甘い要素が欲しい人は別の映画を見ましょう。食べ物だと全然甘くないカカオ100%チョコレートです。この映画。
この二人(レオナルド・ディカプリオとケイト・ウィンスレット)だとタイタニックとかロマンス路線イメージが先行してしまいます、、、
が、しかし、それを期待してこの映画を観ると痛い目を見ますよ!
大好きなケイト・ウィンスレットがちょっと痛い役を演じている今作なのですが、ケイト・ウィンスレット扮するエイプリルの主張が、ちょうど私が普段から考えている事と同じだったのでびっくりしました。
アメリカでも、サラリーマンとして生きていく事にウンザリする人って当然いるんだなーと。(まあ、当たり前なんですがね)
映画の中でフランク(レオナルド・ディカプリオ)が満員電車に乗って通勤し、うんざりしてデスクに座る姿が、今の日本のサラリーマンに重なるものがあります。
そんな日常に嫌気がさして、パリに行く事を決めるのですが、周りはどこか冷ややかに馬鹿にした風で、、、
二人の夢や目論見はどんな結末を迎えるんでしょうか。
あらすじ
舞台は1950年代のアメリカ。
フランク(レオナルド・ディカプリオ)とエイプリル(ケイト・ウィンスレット)は、そこそこ裕福な家庭を築き、子供にも恵まれて暮らしていた。近所の人からも理想の夫婦と評されていたウィーラー夫妻だったが、夫妻は不満を抱えていた。
エイプリルは俳優志望だったが、チャンスに恵まれなかった。フランクはサラリーマンにはなりたくないと思いながら育ったが、現実は厳しく、父親が働いていた会社で働かざるを得なかった。
現実に息苦しさを感じていたエイプリルだったが、ある日結婚当初憧れていたパリに移住する事を思いつく。フランクは馬鹿げた考えだと否定したが、エイプリルに説得され、次第にその気になっていく。
エイプリルの友人で、不動産仲介業を営むヘレン・キヴィングスの息子ジョンは、数学の博士号を取得したインテリだったが、精神疾患を患っていた。ヘレンはウィーラー夫妻に療養の一環としてジョンと会ってほしいと頼む。ジョンは少し変わった男だったが、真実に忠実であるがゆえにウィーラー夫妻の不満を鋭く見抜いていた。
エイプリルに反して、フランクは本心ではパリでの生活が厳しいと感じており、また運の悪いことにエイプリルの妊娠が発覚してしまう。
感想
なんかエイプリルの言動が、自分と重なって食い入る用に観てしまいました。
俳優という志があった頃は、不安ながらも、希望に満ちていた。俳優という夢を諦めてしまった今となっては、何を目指して毎日を過ごせばよいのか分からなくなる。
夫がサラリーマンとして働くことで収入はあるし、子供も健康に育っている。申し分ない家庭ではある。自分は専業主婦で、特に困った事はない。しかし、決定的に何かが足りない。時間だけは過ぎて行き、少しずつ可能性が削られていく焦り。自分はこのままでいいのだろうか? 今まで自分はこのために頑張って来たのだろうか?
エイプリルには新しく希望や夢が必要なのだ。それがパリでの新しい生活だった。
それを理解してくれたのは、精神疾患を患ったジョンだけだった。「絶望するには勇気がいる」とジョンは言う。
この言葉の意味はすぐには分からなかった。
多くの人は、絶望的な状況に陥ってもそれを直視することなく、ぬるま湯のような日常に使って満足しているという事なのだろうか。
直視してしまえば、ジョンのように頭がおかしくなってしまう。
ジョンの言葉を借りれば、フランクは絶望する勇気がなく、怖気づいてパリ行きを諦めてしまう。(諦めるべき合理的な理由を次々と作り始める)
フランクの判断がまともな大人の判断なのだろう。もちろん、理性では分かっているが、どうしてもエイプリルに加担してしまった。
物語の最後で、ジョンの両親(キヴィングス夫妻)の会話シーンが挿入される。夫は妻のつまらない話を補聴器を切って、聞かないようにしている。うまくいっている(?)一応離婚せずに続いている夫婦は、相手の話を聞いていないというシーンなのだが、これが物語全体への皮肉となっているのだろう。エイプリルもジョンも絶望を直視する勇気があったがために破綻した。しかし、現実を直視せずうまく思考停止している人間は社会でうまくやっていける。(それが幸せかどうかは分からない)
私はジョンやエイプリル側の人間(自分で勇気があるとかいうのはかなり痛いんだけれど)なので、ちょっと観ていてしんどかったです。(笑)